カウンセリングマインド まず親が教師が

カウンセリングマインドは相談する心と訳されますが、英語にはなく、日本での造語です。つまり、日本語なのです。

カウンセリングは、相談者が指示や注入するのではなく、共感的な理解のもと、個の自発性や主体性が発揮されて、自らの力で解決させようという、古代ギリシャの時代からの「対話」を源泉とする問答法を正統に継承した手法ということができます。

明治維新以後、日本の文化や文学の歴史は、全体から個への価値の転換の歴史のようにいわれますが、本当の意味で個人の確立が実現したかどうか、今日においても、大いに疑問があります。

戦後、アメリカの教育使節団の指導の下、カウンセリング活動が教育現場に導入され、中高にディーン室とか生徒指導室がつくられました。活動の衰退と教室不足でその部屋も消えました。荒れる学校の時期を経て、児童・生徒の減少で、空き教室の増加とともに、また、相談室の看板が、また見られるようになりました。しかし、その精神は、相談室の中にだけでなく、もちろん親子関係にも、子弟関係、職場の人間関係にも求められる、一人一人が尊重される関係を構築しようとするものなのです。

いじめや不登校は、臨床心理士の配置で決して解消されるものではありません。

むしろ、カウンセリング運動がめざしてきたものが学校の社会,殊に教員の社会に、真に根づくことが求められているのです。そして、それは、その社会に真に定着してこそ解決されるものと言うべきものなのです。毎年、教員採用試験のキーワードになっていますが、ニイル「問題の教師」が指摘するように、教員の社会に一番馴染まない概念といってもよい言葉でもあります。

かけがえのない個人を大切にすること、それは、また、他を大切にすることにつながります

そんな価値の実現する社会の構築が子どものいじめをなくす唯一の術だとだけは断言できます。そんな社会を今私たちの手で作ろうと思いませんか。仮に、そんな社会がどこにもなくとも、ここに築こうと思いませんか。そのために、まず親や教師にカウンセリングマインド備わることが求められているのです。