見守っていてくれているという 安心

わたしの学生のころは、非指示的な心理療法のロジャースの全盛時代でした。わたしには、エンカウンターグループが宗教団体や秘密クラブに感じられました。大学を卒業しても、なかなか大人になれないわたしに勧められた仕事のひとつに、心理カウンセラーへの道がありました。わたしが属していた教育心理学会などで、臨床心理士の認定制度が検討されていました。いろんなテストの記録法のしかたを体験し、その大家の記録を読むと、とても手間のかかるしんどいものとわかり、自分には不向きとしか思えませんでした。

ところが、いざ教員になってみると、わたしは教育相談の担当をどこの学校へ行っても任せられました。学校というところが、教育相談といった内部告発的な部署の繁盛を望むはずはありません。学年主任のときも、学校の警察といわれる生徒指導主事のときも、教務主任、教頭のときも担当していて、悪戦苦闘しました。

それでも、ちょっと得なことがありました。親御さんから、先生が心配して見守ってくれているから、安心しているようですという感謝のことばをいつもいただいたことです。妻は、しかし、わたしの所業に迷惑していました。自宅に不登校の子などを預かったりしたからです。