プロフィール

中島 伸一 (なかしま しんいち)

好きな言葉 感謝

〇自宅住所 491-0871 愛知県一宮市浅野字山林85番地

電話番号 0586-77-2169

携帯番号 090-6339ー3005

〇学歴

・稲沢町立稲沢東小学校入学 木曽川町立黒田小学校卒業

・愛知学芸大学付属名古屋中学校入学・卒業

・私立滝高等学校入学・卒業

・愛知教育大学教育学部入学・卒業

・愛知教育大学教育専攻科入学・修了

1947年 疎開先の江南市で、教員の父母のもと、末子の長男として生まれました。団塊世代のひとりです。

生まれた直後から、母が消化器系のがんのため入院を繰り返すようになりました。母の入院中は、幼いわたくしのために、勤め先の先生方、PTAの方、ご近所の方々に食事などのお世話を毎日していただきました。ある先生の「なんでこんなことをしなければならないの。」という一言をたまたま聞くという体験が、「生きる」ということの意味を、その時から今日まで、何度も問うことになりました。

それからは、国府宮から名古屋への病院に通い、一日を過ごすようになりました。国府宮の駅員さんに温かい言葉で朝に送られ、夕に迎えられる毎日でした。

病床にいても、母は教師として戦場に教え子を送ったことを悔いておりました。ひとりひとりが尊重され、平等で平和な社会の実現を何よりも理想としておりました。インドのネール首相から贈られた象の背中に乗った話をわたくしがしたときには、その師であるガンジーの無抵抗運動について、熱く語った母の姿を思い出します。

6歳のとき母が亡くなり、喪主を務めました。子どもながら死と向き合う時間でした。それから、母を知る先生から、母の教師としての姿を知らされ、そのたびに、改めて母の思いを噛みしめました。

小学校の4年のとき、父が再婚し、作家の有島武郎が自分と似た境遇にあったことを知りました。有島武郎をきっかけに、白樺派から、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治の作品に傾倒いたしました。一方、オパーリンの「生命の起源」を手始めにして、唯物論や共産主義という考え方に興味を抱きました。そんな本を手にしたわたくしにその考え方は危険だとし、教師から注意もされたこともありました。また、有島武郎がクリスチャンだった影響か、自転車で、一宮のカトリック教会に通ったこともありました。姉を病気で失ったため、母の弾くオルガンに合わせて讃美歌を歌っていたことを思い出したからです。岐阜の本屋さんにも通いつめました。そんな中、書店主さん、神父さんに心温かく接していただきました。本好きのわたくしを書店主の方は只読みをとがめるどころか、食堂でごちそうまでしてくださり、地元の歴史や出版のお話をしてくださいました。露地裏のお店でご馳走になった生卵の乗ったカレーライスの味を思い出します。

そんな中で、中学生になりました。図書の世界のその時々の潮流に影響を受け、ベストセラーを買い漁り、読み耽り、生きる意味を考え、その答えを求めようとしました。とりわけ、ユダヤ人収容所の極限状況を描いたフランクル「夜と霧」、副題を我と汝の問題としたブーバー「孤独と愛」、今西錦司「生物社会の論理」丸山真男「日本の思想」の影響を受けました。人間は互いに支え合わなければなければならない社会的存在であると同時に、人間は自らの手で自らを滅ぼしかねない唯一の危険な生物種であるということを知ったのです。

生まれつきの無呼吸症候群のうえに、気管支が弱く、中学から高校の時代には肺浸潤・心臓肥大・不整脈などと診断されました。おかげで、健康診断は毎年再検査となることになりました。

学ぶということはともかく、教えるということには躊躇がありましたが、小学校の高学年時に決められた親の意向に逆らえず、教員養成大学に進みました。しかし、その専攻については、なんとか、心理学とすることができました。当時の心理学会の寵児エリクソンの影響のもと、「家族」「自立と依存」という自らのテーマから、発達心理学に関心を持ちました。卒業論文は「依存性の研究」と題し、推薦を受けて、東海心理学会で発表しています。日本教育心理学会などにも所属しました。専攻科での修了論文は「専門職論」をテーマに選んでまとめています。生きるという意味や使命という問題意識が背景にあったように思います。尊敬する中国思想や教育社会学の先生などから転学のお誘いを受けたこともありました。

学生時代まではライター志望で、知己を得た出版社の編集・校正の仕事と、恩師の紹介で医師や弁護士などの子弟の大学受験の家庭教師のアルバイトに専念しました。新聞社や出版の仕事、勧められた資格取得などに未練を残しながら、一宮市の義務教育学校の教員になりました。中学校では国語、臨時免許状で英語を教えました。就職直後、義務として応募させられたた論文が偶々、口頭・紙上発表者に選ばれたのをきっかけに、県の教育センターの長期研究員となりました。

30歳のときには、文部省派遣教員として、シンガポール日本人学校に勤めました。日本国内の高校受験の指導をする傍ら、チャールズ皇太子が名誉総裁を務めるというユナィテッドワールドカレッジサウスイースト校において インターナショナルバカロレア大学入学資格の最初の日本語講師を務めました。香港など他のインターナショナルスクールなどの日本人学生からも、大学進学・専攻・将来の職業などについて直接相談を受けることになりました。また、大使館主催星日文化協会のシンガポールの人たちを対象にする日本語講座上級クラスの講師も務めました。その折、新宿日本語学校の創立者江副隆愛先生・勢津子先生の教えを受けております。

帰国後、一宮市市民文学講座講師、読書感想文コンクール愛知県中央審査員 (学校図書館報、県図書館報などに数次寄稿)、月刊雑誌「子とともに」執筆委員(中学生春秋など)、 FM愛知放送「教師の時間」講師(生徒指導)などを務めました。ラジオで話を聞いたから、雑誌で読んだからとの、お問い合わせを県や市を通したりしていただきました。そんな折、不治の病の中で、最期を過ごす少年少女との出会いがありました。彼女や彼らの信頼に値する教師として人として高まろう、彼女や彼らの期待を裏切らない人生を送ろうと誓いました。また、長男の進学先である中央大学の父母連絡会の副会長、愛知県支部長も務めました。さらに、無呼吸症候群などからの循環器の病気のため、何度か入院も余儀なくされました。入院中、単に教員というだけの理由で、看護師さんの行政書士、患者さんの管理業務主任者・大検などの受験勉強にお付き合いしました。カバチタレが人気を得、教育訓練制度の華やかなころのことです。指導のお礼にいただいた出前のカツをとんでもないと主治医の先生に取り上げられ、看護師さんの夜食になったことを思い出します。

そんな折、 元司法試験受験生で学校の事務職の方から法律の手ほどきを一から受け、幸いにも、数か月の学習で、2000年11月実施の行政書士試験に一発合格をさせていただきました。そんな中で、自分の第二の人生の方向を見い出していたのでした。

2005年 3月  義務教育学校の教員を早期退職しました。直後の4月に心筋梗塞の手術をいたしました。 さらに腹部に切り時のふたつの大動脈瘤が見つかっていましたが、心臓病の治療を先にすることにしました。7月には、就職・資格予備校の東京アカデミー名古屋校の教員採用試験講座の土日・夜間・出前講座の「教育心理」の講師となりました。何回かの面接やシュミレーション授業を経てやっと採用されるという一般応募ならではの体験でした。

2006年 5月 腹部大動脈瘤の肥大化のため、血管置換手術いたしました。その手術中の夢から、右腎に切り時の大動脈瘤をまだひとつ残しておりながら、資格学校で教える側にとどまることに飽き足らなくなり、資格学校からの何度かの復帰のお誘いをお断りして、一念発起、独立開業することにいたしました。

2006年 8月 1日  自宅を事務所とし、行政書士業を開業しました。(なお、2017年3月31日登録抹消し、廃業致しております。)

登録後、関連資格の勉強をはじめました。半年間で、宅建主任者試験、管理業務主任者試験、簿記などの資格試験に挑戦しました。その様子は、東京法経学院と住宅新報社の資格雑誌に、合格体験記や開業体験の連載などでさせていただいております。 取得した資格のうち、宅建主任者については、講習を受け、2007年 9月 3日 宅地建物取引主任者登録をしています。

2007年4月から翌3月まで、かつて病院で出会った青年が退院できたら通い、司法書士となって、貧しい人たちのために尽くしたいと熱く夢を語っていた、その中京法律専門学校司法書士科で学びました。(実のところは、近くに住む孫に会えることを楽しみにしていただけなのでしたが。)彼の夢を引き継ぎ、司法書士試験の最高齢合格者(歴代記録70歳)として合格することを目指したのでした。その間に、ひと桁世代から七十代までの男女に取得資格や試験合格などの手引きができたという貴重な経験と幸運にも恵まれました。

2010年 4月からは、事務所を自宅から現在地に移転し、愛知県行政書士会一宮支部の土地利用部会、研修部会の役員として勉強の機会をいただきました。親の介護に数年専念させていただいた時もありましたが、行政書士事務所としては、主に離婚・不動産賃貸借・相続の問題を取扱い、教育相談室としては、不登校・怠学などの相談、小中高生の学習指導・受験指導、論文作成の指導、成人の資格取得指導、外国人のための日本語指導などをしてきました。

心臓病のうえに、大動脈解離、切り時の大動脈瘤を右腎にも抱え、退院に際し、医師からは奇跡的と何度か言わしめ、小心者には不安で落ち着かない身の上なればこそ、司法書士試験の最高齢の受験と合格は諦め、あなたとご家族の未来のためにだけ、力を尽くす所存で、余命を過ごさせていただいております。

著作

「行政書士試験合格後のおはなし」①~⑦

(東京法経学院 「不動産法律セミナー」2009年3月号~2009年9月号)

「宅地建物取引主任者試験合格後のはなし」①~③

(東京法経学院「不動産法律セミナー」2008年11月号~2009年1月号)

などの署名記事をはじめ、行政書士・宅地建物取引主任者・管理業務主任者・教員採用試験、高校受験のための国語・国文法の参考書・問題集・模試などを執筆させていただいて、今日に至っております。

次世代の本当の幸せのために、第二の人生を捧げようと努めています。